注:この記事は「インナーサークル」という言葉を使っている人を批判するためではなく、私自身の解釈や考えを共有するために書いています。
このところ日本から来る人たちと接する機会があったのだが、「シリコンバレーの”インナーサークル”に入りたい」という話を結構聞いた。意味するところは、有力者を中心にエクスクルーシブに形成されたコミュニティに入りこんで、自分もチャンスを掴みたい、ということなのだが、私は強烈な違和感を覚えた。
確かに現地の人たちと密接なつながりを作って、色々なチャンスを掴むことはとても大切だ。是非そうするべきだ。しかしながら、その代表的な手段が「インナーサークルに入り込むこと」なのだろうか?
シリコンバレーの起業家は複数回事業を立ち上げる人も多く、過去に築いた投資家との信頼関係に基づく強固なネットワークを持っていることが多い。投資家サイドも一緒に投資したり、表には出ない情報を融通し合ってお互いに助け合う中で小さなコミュニティを形成している。つまりお互いの貸し借りが目に見えない仲間のサークルを作り、相互扶助的なネットワークになっているのだ。これは何もシリコンバレーに限ったことではない。
これが傍目にはエクスクルーシブ(排他的)なネットワークに見えるため、一種の羨望もこめて「インナーサークルに入りたい」となるのだと思われる。
しかしながら、アメリカ人の感覚で考えると、突然日本からやってきて「俺も仲間に入れてくれ」というのはどう思うのだろうか?ものすごく表層的な部分で語っているように聞こえるし、「楽して美味しい思いをしたいので、俺もチョイ噛みさせてくれ」という風に捉えられたりしないだろうか?これでは全くの逆効果だ。
一つの考え方としてだが、インナーサークルは入れてもらうものではなく、自分で少しずつ輪を広げていくものだと思う。つまり、「Take」を押し出してクレクレというのではなく、自分の持っているものを「Give」することで、少しずつ「Take」のチャンスが還ってくるという流れが仲間の輪になり、そこからその人のサークルが生まれてくるのではないだろうか。
改めて言っておくと、シリコンバレーのローカルコミュニティと繋がりたいというのは至極真っ当な希望だ。しかしそれは、シリコンバレーという偉大なるイノベーションとチャレンジの場に対して敬意を払い、日本からやってきた自分に提供できるものをシリコンバレーの発展のために差し出し、その貢献から初めてローカルコミュニティに認められるということに他ならないと思う。
知り合った人を自分の家に招いて、日本食パーティをしてもいいと思うし、日本の市場状況について無料でレクチャーしてあげるのでもいいと思う。地域の起業家を日本に連れてくるボランティア活動でもいいし、何か地元の人に貢献できることをすればよい。
地元の人に敬意を払い、ローカルコミュニティへの貢献を通じて仲間になる、それが遅れてシリコンバレーにやってきた日本人が意識することなのではないかと思う。何か素晴らしいものをシリコンバレーに持ち込みたいという気持ちはいつか通じると信じている。
偉そうに聞こえてしまったら申し訳ないが、日本人がシリコンバレーのコミュニティに溶け込んで活躍するための一つの提案として捉えていただければ幸いだ。
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